日本には市民社会がない

ウォルフレンは市民社会についてこのように言っている。

 この市民社会という概念は、その実際を見たことのない人にはもっと詳しく説明すべきだろう。といっても簡単に思い描いていただけるようなものでもない。市民社会は、独裁主義から国民を守り、民主主義を可能にするためのさまざまな条件の組み合わせから成り立っている。
 市民社会が政治システムの一部であることはいうまでもない。統治行為には直接かかわらない部分であるが、国の政治責任の一端を担っていると自覚する人々から成り立っている。
 市民社会であるとは、少なくとも、政治的議論に一般の人々が参加し、政治の現状が知的に吟味され、国の統治に人々の代表者が参加する基本的制度がととのっている社会であることを意味する。                         『人間を幸福にしない日本というシステム』

ウォルフレンも言っているが、日本では市民社会というものがほとんど形成されておらず、政治的に無力です。日本では国家と市民社会というのが非常に近い距離にあって、ほとんど無自覚に重なっている人も多い。国家というものは常に監視しなければいけない、コントロールしなければいけないという意識が希薄な感じがする。人々が日頃から政治に関心を持ち、権力を監視していれば、先の衆議院選挙でもあんな結果にはなっていなかったと思う。

 政治的に有効な市民社会は民主主義に不可欠の基盤である。国政に民の声をできるかぎり正確に反映させるため、市民社会は絶対に必要なのだ。市民社会がなかったら、民主制は特定の利益集団に乗っ取られてしまう――現に日本の民主主義が大企業と官僚の連合体に乗っ取られてしまったように。
 さらに市民社会は、政治制度を育む土壌ともならねばならない。真に国民の役に立つ政党は、この土壌に根ざして育っていかなければならないのだ。

市民社会のないところに、民主主義はない。ウォルフレンって大抵の日本人よりも日本のことが分かってますね。「外」から見るとよく見えるんでしょうね。ネットに出来つつある市民社会の萌芽を育てていきたいですね。


人間を幸福にしない日本というシステム 日本 権力構造の謎〈上〉 日本 権力構造の謎〈下〉
『日本 権力構造の謎』の電通やヤクザに関する考察はすごく面白いですね。