鳥インフルエンザ、ハイパー・インフレーション

http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20050921i411.htm
鳥インフルエンザインドネシアで被害拡大」

ジャカルタ=黒瀬悦成】インドネシアのスパリ保健相は21日、毒性の強い鳥インフルエンザウイルス(H5N1型)に感染の疑いがあるジャカルタ在住の5歳の少女が同日死亡したと発表した。
ジャカルタ首都圏および近郊地域では今年7月以降、鳥インフルエンザウイルスへの感染が確認された4人が死亡したほか、少なくとも9人が感染の疑いで治療を受けるなど、感染被害が急拡大している。

バリからの帰り、ジャカルタ経由で帰ってきたのですが、ジャカルタの空港のトイレは強烈に臭かったw。衛生状態が悪いのかな、と。それにしても飛行機の乗り継ぎ、トランジットというのはいつもよく分からない、迷ってしまう。今回もいったん外に出て出発ロビーに回れと言われ、出たとたん白タクのタクシーに乗れという客引きが大勢押しかけてきて閉口した。ジャカルタは治安も良くないのかな。

そういえばインドネシアの通貨ルピアはかつてのハイパー・インフレーションで桁がすごく大きいですね。1万ルピアが100円ぐらいだから、バリで買い物するときに数字だけ見るとびっくりする。日本も国債が暴落してハイパーインフレになったらこうなってしまうのか・・・と思ったりした。そうならないことを願ってますが。にぎやかなバリの店先にたむろする男たちも、けっして明るい顔はしてなかった。インドネシアもそうとう過酷な現代史を経ていますね。

http://www.tcat.ne.jp/~eden/Hst/indonesia/indonesia_kyouwakoku_no_seiritu.html
インドネシア歴史探訪』
>ところが、西イリアン解放ではあれほど味方した国際社会が、今度はそっぽを向いたのです。
 西側諸国との関係は悪化し、IMFアメリカはインドネシアへの経済援助を停止しました。
 そのため経済は破局に瀕しました。財政は大赤字、対外債務は雪だるま式に膨らみ、1960〜65年にはハイパー・インフレーションに突入、1966年の消費者物価の上昇率は650%に達するのです。
 にも関わらずスカルノは強硬路線を貫きます。1965年1月7日には、マレーシアが国連安全保障理事国に選ばれたことに抗議して、インドネシアは国連を脱退してしまうのです。

共産党狩りは政府軍のみならず各地の自警団によっても進められ、インドネシア全土で殺戮の嵐が荒れ狂いました。
 特に大量の人々が殺害された1965年末〜1966年初めの東・中部ジャワ、バリ、アチェなどでは、河川を毎日首無し死体が流れ下り、人々が魚を食べるのをやめたほどです。
 虐殺された人々は翌1966年3月までに約60万人(3)に達したと言われます。
 そこには共産党員のみならず、多くの中国系住民(華僑、華人)が含まれていました。「共産党員=中国人」という図式からと言うより、潜在する反中国感情が爆発したからでしょう。
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