森達也『いのちの食べ方』


この本は子供向けに書かれた本だけど、なかなかいい本ですね。「と場」という牛や豚を殺して、食肉にする場所に関する本です。BSEで牛肉に関して関心が高まっているが、「と場」に関しては余り知られていない。「と場」の仕事というのは歴史的に被差別部落の人々が働いていることが多い。この本でも被差別部落の話が出てくる。

 長く鎖国状態にあった日本は、明治維新以降、アジアを植民地としていた西洋列強に追いつくために、急速な富国強兵と殖産興業を国策として打ち出した。そのためには、低賃金でも不平不満を言わずに働く大勢の労働者が必要だった。
 つまり国全体の生産力を落とさないために、被差別部落は残されたとの考え方だ。と場で働く人たちも、同じようなことが過去にあった。今でこそ彼らは公務員だが、それ以前はとても低賃金で、危険な仕事なのにそれに見合うだけの補償などない仕事だった。また内蔵業者のほとんどは、つい最近までは内臓を抜く前の仕事も手伝わされていたが、それについての報酬はゼロだった。
 明治期に差別がなくならなかった理由を、こんなふうに説明している資料もあった。ひたすら低賃金で働く貧困層全般には、不満のはけ口が必要だった。それをなくしてしまえば、苦しい生活に対する彼らの不満が政府に向かう。そのために部落差別は残された。

差別が不満のはけ口になっているというのは、現在でもまったく同じ構造だと思う。2ちゃんねるなどで中韓を罵っている連中は、日常で虐げられた存在なのだろう。


森達也は差別に関してこう言っている。

人は人を差別する。差別したい生きものなのだ。そうやって小さな優越感に浸りたい。そんな感情が、僕たちにはきっとある。僕にもある。そして君にもある。だから差別はなくならない。昔話じゃない。今も同じだ。でも差別しているのが、ほかならない自分自身なんだと、人はなかなか認めない。

これはなかなか差別の本質を突いてますね。差別の本質がそうだとすると、人の心が変わらないと差別はなくならない。人を差別して優越感を得るのではなく、もっと別のところにプライドを持つようにならないと。日本に天皇制が残り被差別部落が残っているというのは、人の心の弱さを示しているのではないかな。天皇制を称賛する心と差別する心は表裏一体のものではないだろうか。



いのちの食べかた


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