「翻訳者の四迷」

umkaji2004-09-20


雑誌『国文学』に「翻訳者の四迷」という柄谷行人の文章が載っていたので立ち読みした。二葉亭四迷は翻訳する際、こなれた日本語にするよりも逐語訳を心がけたらしい。その方が原文の文学的な意味を汲み取れると考えた。柄谷はそういう四迷の翻訳に対する姿勢を評価している。

たとえば英文和訳する時、こなれた日本語にするのが良いとされる。日本語で流通するような文章のパターンというものがある。それに当てはめるように翻訳する。しかし逐語訳的な文章の方が良いと感じることがよくある。普通の文章としては変なのかもしれないが。

翻訳というのはある言語共同体から別の言語共同体へジャンプするような試みだと思う。こなれた文章にするというのはその跳躍の痕跡を消すようなものだ。しかし文学というのは流通する言葉に揺さぶりをかけ、視差をもたらすことに意義がある。ということは逐語訳的というのは文学者の使命でもあるだろう。



http://www.kojinkaratani.com/japanese/hatsugen.html