インターネット―個人―市民社会


僕はもともと政治にはあまり関心がなく、どちらかといえば嫌いなほうだった。自分の快楽だけを追い求めたいタイプなのでw。そんな人間でも何かしないと、と思いながらやってきた。インターネットやブログというのは新しい市民社会の形成にどのようにかかわってくのか。

インターネットのブログに書く時というのは、わりと個人になれるのではないだろうか。日常では職業や組織のしがらみの中で言いたいことも言えないような人も、企業や組織から抜け出て、自分の言いたいことを誰の気兼ねもなく書ける場所になってるように見える。これはインターネットの匿名性の良いところではないだろうか。ブログは匿名でも、IDによってアイデンティファイされているので、掲示板のように荒れることも少ない。匿名を保ちつつ、人格も保てる。

そういう意味でインターネットやブログというのは普遍的(パブリック)な空間となりうる可能性がある。もうひとつは、商業ベースになっていないことで、言説を公共的なものに出来るということがある。『きっこの日記』なんかも商業ベースではなかなか出来ないと思う。スポンサーから苦情が来るだろうし。あれはブログだからこそ出来る。きっこさんもこれは広く伝えないといけないというパブリックな意志によって、1銭にもならないブログを書き続けているのだと思う。楽しいからやっているのですが、ボランティアというのは本来こういうものではないだろか。

自分の所属する属性から抜け出て個人となれる空間、ここに新しい市民社会の可能性がある。インターネットで個々人の連合から生まれたものが、リアルの社会に波及していく。こういうことが現在起こりつつある。日本で公(おおやけ)というと国家主義的な話になりがちだが、パブリックという概念はもちろん国家を超える概念である。



<関連リンク>
「公共性」をめぐって『NULPTYX.COM』
『他者の受容』ユルゲン・ハーバーマス(法政大学出版局)中山元 書評空間』
パブリック・ジャーナリスト宣言『livedoorNEWS』






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